北海道の高校サッカーについて調べていると、必ずと言っていいほど名前が挙がるのが室蘭大谷高校(現・北海道大谷室蘭高校)ですよね!
そして、その歴史を深く知ろうとすると、切っても切り離せないのが「財前」というキーワードではないでしょうか?
「いったいどんなすごい選手だったの?」「どんな伝説のエピソードがあるの?」と気になって調べている方も多いと思います。
この記事では、室蘭大谷高校サッカー部の黄金期を支え、北海道サッカーの歴史を大きく動かした中心人物について、当時の熱いエピソードを交えながらたっぷりお伝えします!
最後まで読んでいただければ、当時の胸が熱くなるような名勝負の裏側や、北海道サッカーがもっと好きになる面白エピソードがスッキリわかりますよ。
ぜひ、当時の熱気を想像してワクワクしながら読み進めてみてくださいね!
北海道サッカーの歴史を動かした伝説の存在!

ズバリ結論からお伝えしますね!
室蘭大谷高校サッカー部における「財前」とは、1987年の全国高校サッカー選手権でチームをベスト4に導いた絶対的エース、財前恵一(ざいぜん・けいいち)さんのことなんですよ。
さらに、「天才」と呼ばれた実の弟である財前宣之(のぶゆき)さんの存在も相まって、兄弟そろって北海道サッカー界のレジェンドとして語り継がれているんです!
彼らは単にサッカーが上手な兄弟だったというだけでなく、北海道の高校サッカーが全国レベルであることを証明した大功労者なんですよね。
今でも「北海道のサッカーが強くなったターニングポイントはいつ?」と聞かれると、真っ先に彼らの名前が挙がるほど、ものすごい影響力を持っていたんですよ。
なぜ室蘭大谷といえば財前恵一さんと言われるの?

では、なぜそこまで「室蘭大谷といえば財前さん!」と語り継がれているのでしょうか?
それには、当時の北海道サッカーの常識を覆すほどの、ものすごい理由があるんですよ。
ここでは大きく2つの理由に分けて、わかりやすく解説していきますね!
北海道勢が全国の頂点に迫ったターニングポイント
最大の理由は、財前恵一さんたちの圧倒的な活躍によって、北海道の高校サッカーが初めて全国の頂点に迫ったからです!
それまでの北海道勢は、冬は雪の影響で外のグラウンドが使えないという大きなハンデがあり、全国大会ではなかなか上位に食い込めない苦しい時代が長く続いていました。
しかし、財前恵一さんが3年生だった第65回全国高校サッカー選手権(1987年)で、なんと室蘭大谷は堂々のベスト4に進出したんですよ!
雪国の高校が国立競技場のピッチに立つ姿は、当時の北海道サッカーファンにとって、本当に夢のような出来事でした。
実はファンの間では、その後別の世代で室蘭大谷が準優勝を果たした出来事と記憶が混ざって、「財前のときに準優勝したんでしょ?」と勘違いされることもあるくらいなんです。
それほどまでに、「財前世代のベスト4」は、準優勝に匹敵するほどの強烈なインパクトを人々の記憶に焼き付けたということですね!
高卒で名門クラブとプロ契約した圧倒的な実力
もう一つの理由は、財前恵一さん個人の実力が規格外だったことです!
高校卒業後、恵一さんは当時の日本サッカー界を牽引していた名門チーム、日産自動車(現在の横浜F・マリノス)に加入しました。
ここで驚きなのが、なんと高卒の選手としては異例となるプロ契約を結んだということなんですよ!
当時、まだJリーグが誕生する前の日本サッカー界は、企業に社員として所属する「実業団」の形が主流でした。
そんな中で、高校を卒業したばかりの選手がいきなりプロフェッショナルとして契約をもぎ取るなんて、本当に信じられないくらいすごいことですよね。
道産子プレーヤーが全国の舞台で認められ、日本のトップレベルへと駆け上がっていく姿は、地元・北海道でボールを蹴るサッカー少年たちに、どれほど大きな夢と希望を与えてくれたことでしょうか!
胸が熱くなる!財前恵一さんの伝説エピソード3選
ここまで読んできて、財前恵一さんの偉大さが少しずつ伝わってきたのではないでしょうか?
ここからは、さらに読者の皆さんの胸を熱くするような、具体的な伝説のエピソードを3つご紹介しますね!
どれも、今の時代に聞いてもビックリするようなお話ばかりなんですよ。
①語り継がれる伝説の「15人PK戦」の死闘
みなさん、サッカーのPK戦で「15人」も蹴り合った試合なんて、見たことや聞いたことはありますか?
実は、1987年1月6日に行われた第65回選手権の準々決勝、室蘭大谷 対 宇都宮学園の試合で、その前代未聞の死闘が繰り広げられたとされています!
この試合は両チーム一歩も譲らずPK戦に突入したのですが、なんとスコアが15-14になるまで決着がつかなかったんです。
11人の選手が全員蹴り終わっても勝負がつかず、2巡目にまで突入したというのですから、見ている方の心臓が飛び出そうなくらいの緊張感ですよね!
このとき、室蘭大谷の5人目のキッカーとして堂々と登場したのが、絶対的エースの財前恵一さんでした。
実は室蘭大谷は、日頃の厳しい練習の中から「5人目までのキッカーは絶対に固定する」という方針を貫き、選手たちに自信を持たせていたという裏話もあるんですよ。
ものすごいプレッシャーのかかる場面で、きっちりと役目を果たしたエースの姿は、今でもスポーツ紙などで「伝説のPK戦」として何度も特集されるほど、色褪せない名勝負として語り継がれています!
②指導者としてコンサドーレ札幌を牽引
財前恵一さんは、現役を引退した後も、指導者として北海道サッカー界に多大な貢献を続けています。
特に、地元クラブであるコンサドーレ札幌での歩みは本当に素晴らしいんですよ!
現役時代に選手としてプレーした古巣で、引退後はユース世代のコーチから指導者としてのキャリアをスタートさせました。
その後、次のような素晴らしい経歴を歩まれています。
- 札幌ユース(U-15、U-18)のコーチおよび監督
- アビスパ福岡のユース監督
- コンサドーレ札幌のトップチームコーチ
- コンサドーレ札幌のトップチーム監督(2013〜2014年)
トップチームの監督として厳しい勝負の世界で指揮を執っただけでなく、アカデミー部門で長年にわたり若い才能の発掘と育成に情熱を注いでこられました。
選手として活躍しただけでなく、指導者としてもコンサドーレを支え、北海道の未来のサッカー選手たちを育て上げるキーパーソンとして活躍されているなんて、本当に尊敬してしまいますよね!
③「天才」と呼ばれた弟・財前宣之さんとの絆
そして、「財前」というキーワードを語る上で絶対に外せないのが、実の弟である財前宣之(のぶゆき)さんの存在です!
宣之さんは、中田英寿さんたちと同じ「黄金世代」の中で、「天才」と称されるほど類まれなサッカーセンスを持った選手でした。
U-17の世界大会などで世界を相手に華麗なプレーを見せ、多くのサッカーファンを魅了しました。
兄の恵一さんが堅実で力強いチームの大黒柱だったとしたら、弟の宣之さんは観客を「あっ!」と驚かせるような閃きを持ったファンタジスタだったのかもしれませんね。
宣之さんも兄が切り開いた道を追うようにプロの世界へ進み、ベガルタ仙台などで大活躍されました。
引退後は「財前フットボールスクール」を立ち上げ、北海道の子供たちに直接サッカーの指導を行っているんですよ。
兄弟そろって厳しいプロの世界で結果を残し、そして今は二人とも指導者としてサッカーの楽しさを未来の子供たちに伝えているなんて、まるでスポーツ漫画のような素晴らしいサッカーストーリーですよね!
だからこそ、「室蘭大谷のサッカー」と「財前」という組み合わせは、セットになって多くの人の心に深く残り続けているのだと思います。
室蘭大谷のサッカーと財前恵一さんの魅力まとめ
いかがでしたか?
今回は、「室蘭大谷高校サッカー部と財前」というテーマで、その輝かしい歴史や伝説のエピソードをたっぷりと振り返ってみました。
ここで、これまでの重要ポイントを一緒に簡単におさらいしてみましょう!
- 室蘭大谷の「財前」といえば、1987年に全国ベスト4へ導いたエース・財前恵一さん!
- 高卒で名門・日産自動車と異例のプロ契約を結ぶほど、圧倒的な実力の持ち主だった!
- 両チーム15人ずつが蹴り合った「伝説のPK戦」は、今も語り継がれる歴史的死闘!
- 引退後はコンサドーレ札幌の監督などを歴任し、北海道サッカーを育成面から強く支えている!
- 弟の「天才」財前宣之さんとともに、兄弟そろって北海道サッカー界のレジェンド!
雪国という環境のハンデを実力で跳ね返し、全国にその名を轟かせた財前恵一さんの大活躍は、いつの時代に聞いても私たちの胸を熱くしてくれますよね。
当時の熱い戦いや、コンサドーレ札幌でのご活躍の様子を知ると、もっと北海道サッカーの歴史を深掘りしてみたくなりませんか?
今度、高校サッカーの試合中継やコンサドーレ札幌の試合を見るときは、「あぁ、あの財前さんが情熱を注いで育てたチームなんだな」という視点で応援すると、さらに何倍も試合を楽しめるはずですよ!
もしお時間があれば、動画サイトなどで「室蘭大谷 宇都宮学園 15人PK」と検索してみてくださいね。
当時の貴重な映像が見つかるかもしれませんよ。
ぜひ、伝説の瞬間をご自身の目で確かめて、あの頃のスタンドの熱狂を一緒に感じてみてくださいね!