生まれた頃から、昌子の傍らにはいつもサッカーがあった。父の力氏(姫路獨協大監督)は長く指導者を務めており、08年にはJFA公認S級ライセンスを取得。母の直美さんはソフトボール選手として日本リーグでプレーした後、日本女子サッカーリーグ(現なでしこリーグ)の田崎真珠神戸レディース(TASAKIペルーレ=08年休部)にも所属した"サッカー一家"だった。

 家の中には柔らかく小さなサッカーボールが転がっていて、昌子は物心つく前から自然とボールを蹴り始めていた。部屋に布団を敷いて"GKごっこ"にも夢中になった。最初は自分で投げたボールを飛び込んでキャッチしていたが、そのうち父をGK役にシュートを放つようになり、ボールを蹴る楽しさを知っていった。

 屋外でボールを蹴り始めたのは幼稚園の頃だった。その後、近所のクラブチーム、フレスカ神戸に入団し、小学4年になると6年生の試合に出場するようになった。恵まれた体格の現在とは違い、当時はさほど体は大きくなかったという。「食が細くて食べるのが苦手。好き嫌いも多くて、好きな白ご飯やおにぎりばかりをひたすら食べる子でした」と、母は偏食家だった一面を明かした。

 FWとして頭角を現していった昌子はトレセン(選抜)の常連となり、関西トレセンまで上り詰め、中学になると関西トレセンの大半が集まったG大阪ジュニアユースへと進んだ。同期には宇佐美貴史(デュッセルドルフ)、大森晃太郎(FC東京)ら逸材がそろっていた。

 だが、順調だったサッカー人生が蹉跌(さてつ)をきたす。G大阪とは水が合わず、次第にサッカーから距離を置くようになった。多感な時期のさまざまな葛藤に苦しみ抜いた昌子は、練習にも行かなくなり、中学3年の秋にG大阪を退団した。

 楽しかったはずのサッカーから離れ、時間と若さを持て余した昌子は荒れに荒れた。「目つきも顔も人に対して敵対心丸出しだった」と父は振り返る。夜の公園やコンビニに仲間とたむろして座り込んだ。学校では教師につかみかかり、両親には「高校なんか行かへん」と吐き捨てた。

 両親は、昌子がケンカで殴った相手の家まで息子を連れて謝罪に行ったこともあった。「どんな理由があれ、人様に手を出したらこういうことになると見せとかんといけない。親が頭を下げる姿を見せることも大切やと思った」(力氏)。玄関の前で何日も何時間も、頭を下げる両親の背中を見つめさせた。

 ある日の夜中、父がふと目を覚ますと、昌子の部屋はもぬけの殻になっていた。怒りに震えた父は帰りを待ち伏せ、明け方隠れるように帰って来た息子を捕まえ、顔が腫れ上がるまで何度も殴りつけた。やるせない思いをぶつけるように、母も一緒になって息子を叩いた。「何がそんなに気に入らんの」。涙ながらに問い掛けた母に向かって息子は返した。「俺は...自分のことが大嫌いなんや」。行き場を失った叫びは両親の胸に深く突き刺さった。

 「私も家で投げ飛ばされて、最後は泣きじゃくって、あの子に飛びかかったことがありました」。そんな母を息子は心なく突き飛ばした。だが、そこで母親がか弱い存在だと気付いた。「吹っ飛んだ私を見てショックを受けたみたいで、それから徐々に(素行が)良くなっていきました」。

 少しずつ落ち着きを取り戻した昌子に転機が訪れた。父がインストラクターを務めていたJFA公認B級ライセンス講習会。その受講生に鳥取・米子北高コーチ(当時)の中村真吾氏がいた。昌子の将来を案じた中村氏は練習参加を持ちかけた。最初は固辞していた昌子だったが、「背中を押して欲しいはず」と感じた父が「お父さんの顔を立てて一回だけ行ってくれ」と頭を下げると、ようやく折れた。

 「行ってもええけど、サッカーはせえへん」。昌子は両親にそう告げたが、2人は見抜いていた。必ず「一緒にやっていかないか」と誘われるはずだと。その時にボールを蹴れるように、父はスパイクと練習着を車に隠して持って行くよう引率の母に頼んだ。果たして、中村氏から声を掛けられ、何も用意をしていないと答えた息子に、母はスパイクと練習着をそっと差し出した。久々にサッカーで汗を流し、昌子の心の中で何かが変わった。何度か練習に参加した後、ふと漏らした。「俺、米子北に行ってもええよ」。そして昌子は、もう一度ボールを蹴り始めた。

 「根っから悪い子なんていない。いつか必ず自分の道を見付けてくれる」と両親は息子を信じ続けた。自宅を出て最初の曲がり角まで続く100メートルほどの道。角を曲がる直前に息子はいつも振り返って手を振った。その姿は、幼く無邪気だった頃から自分を見失いかけた中学3年になっても変わることはなかった。「周りからは『昌子源って最悪やん』と思われていたかもしれないですけど、振り向いて手を振るあの子を見て、私たちは信じることができました」(直美さん)。息子をサッカー選手にするつもりなどなかった。ただ、人生をリセットして、もう一度喜びにあふれた日々を送ってほしい。両親の願いはそれだけだった。

 サッカーに嫌気がさした中学時代。練習への送り迎えの車中で、母は「大きくなったら、宇佐美君にパスを出すのはあんたやで」と励まし続けた。「うるさいわ。そんなことできる訳ないやろ」と息子は反発した。それから10年余り、昌子が先発としてA代表デビューした15年3月の親善試合ウズベキスタン戦(大分)で、宇佐美は後半途中から出場。2人はチームメートとして同時に代表のピッチに立った。母の言葉は現実のものとなった。

 生まれた時に当たり前のようにあったサッカーを一度は失い、痛みを知った。母親に手を上げ、人の弱さも知った。そうして、昌子のサッカー人生は再び始まった。


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